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蓬莱 なる程、どろさんの話にも関係するんだけど、「継続は力」といように、小林さんの言う、演劇活動の流れを断ち切ってしまってはいけないという思いはありますよね。これって、結構大事だと思うんです。さっきの合田さんの話もそうだし、その辺りどうです?

合田
 蓬莱さんが言うように、芝居をやることは生きることだという様に、やっぱり廃めるということは自分が生きていることを止めることと同じだと感じますね。

蓬莱 僕もそうですよ。菊池さんの場合もそうでしょう。演劇活動を廃めることなんか人生を止めてしまう、幕が下りてしまう。そんな感じでしょう。

菊池 みんなが声をかけてくれることが生きがいですね。一つには演劇があるからで、もしなくなったら一人暗く暮らしている。みんなが声をかけてくれるから、自分もよし何かを発表したい、意見を言いたいという気持ちが湧く、そういう気持ちがずっと継続している。好奇心が湧くというのが大きいのかな。

蓬莱 地域に根差すといった問題はピッコロが一番考えるところだと思うんですが、大楽さん何か意見は。

大楽 そうですね。演劇の地域性はずっと言われ続けてきていますが、うちの劇団は東京から作家や演出家や俳優を呼んで15年、東京志向と内外から言われ続けてきました。公立劇団が日本では普及せず、経験豊かな先輩がいないこともあり、競争や目標が見えない分、世界が狭いんです。ここ数年、劇団員も演劇人らしくなってきて、昨年2月に関西で活躍する俳優の方々と一緒に立ち上げた「真田風雲録」は、舞台の評価もさることながら、地域の俳優たちとの相互理解が大きかったのではないかと感じています。ピッコロ劇団にとどまらず、関西の演劇に期待が膨らんできました。

村井 今、作り手の方の話ばかりずーっと出てるけど、お客さんサイドからしたらどんな芝居が観たいかを考えると、社会性とか公共性を考えず、自分達のやりたい芝居をやるということであれば赤字でいいんですよ。観客が集まらない、劇団員が減る、それは当然のこととして活動していけばいい。観客の側からどんな芝居が観たいかと考えれば我慢しなければならないこともあるだろうし、その枠の中でやらざるを得なくなってくる。2025年までどんどん高齢者が増えてくる。60代、70代がどんな舞台が観たいか、それを芝居にすれば、そこそこ当たる。その中に自分の創造性とか芸術性をどれだけぶち込めるか、というのが我々のやっていくことなんじゃないですか。

大楽 観客も創る側も、それぞれに手間をかけて劇場に集います。演劇は、時間と場所を共有することが前提です。これは演劇のジレンマであり、強みでもあります。投下した資本が新たな利益を生むといった論理からは遠い形態なのです。一方、公共という立場は、利益享受の人数が多ければ公金の有効利用が叶ったと考えがちですが、多くの演劇活動の実態から乖離していることに気づきません。劇団や演劇集団は、それぞれの能力に見合った空間とその観客を維持しています。地域演劇の存在意義もそこあります。公演数としては全国の10%強しか占めていない商業系のプロデュース公演が、不特定多数の客が入ることで演劇の中心と考えがちですが、それは、全国の公演数の80%強を占める多くの中小の劇団や集団を排除することとなり、演劇活動の基盤が崩れていく可能性を孕んでいます。劇場の空間の大きさや集客は、作品や出演者に従属します。同じように見える演劇公演も、規模や目的によって全く異なる行為であることを理解しなければなりません。兵劇協に加盟の劇団は、創造過程から観客まで、構成員の目の届く範囲の活動によって成り立っており、それが強みです。その実態に則した捉え方が重要なんだと思います。

蓬莱
 だから大楽さんの言っていることは、表現媒体としては元々演劇は一度に多人数にアピールする様な存在じゃないわけですよ。せいぜい1公演200から400ぐらい。少ないんだけれど濃密な時間を積み上げていくということが演劇としてあるべきだし、地域演劇としての価値だと思うんです。でなきゃ映画とかに所詮負けていくわけですよ。

今泉 今の世の中を考えると、人と人とのつながりがものすごく希薄になっている。2,3年前に高校演劇の京都大会があったでしょう。びっくりしたのは創作劇だけど出てくるのが高校生と先生だけ、家族も出てこない、そういう繋がりしか持てないのかな。

蓬莱 地域を扱ったもの即ち地域性という捉え方は非常に矮小化していると思う。それより、アマチュア演劇が無くなってしまった風景を考えますね。素朴であっても何か表現したいという欲求に対しての受け皿がなくなってしまう訳ですよね。兵劇協の加盟劇団がその時々に果たしてきた役割があると思うんですが、そこをもう少し考える機会を創っていければ。

村井 5年後に劇団が無くなるとして、後5年ある訳じゃないですか、じゃあ何を残せるか、その5年間で準備をしようと考えた時にどんなアイデアが出てくるか。そんなことを考えたら少し未来が見えてくるかなと。

蓬莱 例えば村井さんはどんなイメージを持っていますか。

村井 僕が芝居をしているということを、周りに広めるとこを考えています。地域で何かやる時に、そういえば、あそこの村井は芝居をしていたぞ。相談出来るんじゃないかと。そうすると繋がりも出来てくるし、さらにはチケット売りにもと、考える訳ですよ。

  兵劇協が兵庫県にあることを先ず知ってもらわないと次に進んでいけない。8年後には、兵劇協創設50周年を迎えるし、合同公演などを検討していくことで兵庫県にはこういう劇団があるんだと知ってもらって、協議会として力をつけていく。だから兵劇協を知ってもらうために何をやるかが、この協議会の活動の中心になっていくと思います。


2010年座談会「どっこい、地域演劇は生きている!」終了。