大西 今日の座談会のタイトルは、『どっこい、地域演劇は生きている!』です。噛み砕いてそれぞれが自分の言葉で話し、議論が深まればいいなと思います。それでは進行は蓬莱さんにお願いします。
蓬莱 こういう時代なので明るい展望が見えてくるとは思えないし、しんどい話し合いになるのではと思います。先ずそれぞれの団体から「我々はこういう思いで活動し、それは、こういう意味を持っている。」という辺りからお願いします。
大西 うちの劇団員の話ですが、かつては職場に同僚が大勢いて、演劇をしていることに応援してくれていましたが、経済が低迷し、人減らしが激しくなってきて、演劇にかかわる者は周りに気を使い、遠慮しながら職場を後にせざるを得なくなってきました。だから職場でチケットを売ることも難しいと、よくこぼしています。以前は午後7時に稽古を始められましたが、今は8時以降にしか集まれません。翌日の仕事を考えれば遅くまで稽古もできないし、稽古時間がとれない状況で、芝居の仕上がりにも影響を及ぼしているのが現状ですね。
蓬莱 そうです。演劇をやっている我々の置かれた状況の問題は大きいですよね。自分達の活動にどんな意味があるのか、世の中に必要なのか、演劇をやっていることに大義名分を持つ必要性を強く感じています。また、演劇の公共性、社会性、あるいは教育に資するものであることなどが、近頃盛んに言われています。まあ、我々は社会的にこんな素晴らしいことをやっているというより、大西さんの話した劇団員の置かれた立場を考えてみた方が、演劇本来の姿が見えてくるんじゃないかな。
三村 あの、劇団員だけじゃなく、関西で芝居をしたいという人に、神戸に受け皿があるって大事だと思う。仕事との両立が難しいからプロ志向のところを探してみたいとか、そういったことの相談ができる窓口を作る必要があると思います。神戸の劇団はどこも弱ってきてますから、演劇の意義を問う前に、芝居をしたい若者の窓口に兵劇協がなれないかと思います。
蓬莱 演劇は東京一極集中の感がありますが、東京へ行ったからといってどうにかなる時代でもなく、抜き出ているところはホンの一握りで、演劇の環境が整っているというくらいかな。むしろ地方の方がやりたい芝居ができるのではと感じますので、その辺りを兵劇協がアピールできないかな。
大楽 今、商業的に成立している事務所や有名劇団は全国に10%ぐらいで、演劇活動の評価はそこに向いていると思うんです。しかし、地域には、演劇で何かを表現したいというテンションを持った人たちが必ずいて、その人たちによって日本の演劇は成り立ってきたんだと思います。公演数やステージ数の8割強は、これらの集団・劇団の舞台だってことが、今後の演劇を考えるには重要ですね。近頃「劇場法」(仮称)が話題になっています。全国で80館程を指定し、そこを拠点ホールとして事業費等を出す。そのホールが演劇事業を展開する場合に、最も期待されるのは事業への参加人数で、不特定多数の集客が出来なければいずれ外されます。ホールも演劇以外の事業に移行していく図は想像がつきます。その時、ただでさえ脆弱な地域の演劇基盤は根底から崩れ、演劇を志す者の意志は淘汰されているという危惧を感じています。
合田 話が噛み合うか分からないけど、うちは今年45周年なんです。よく続けてきたとも思うけど、関西にはざらにあるんですよ。劇団の歴史は、人間に例えたらもう衰退期に入っている。80年代は元気だったが、最近は人も集まらないし、若い人は入ってこない。去年、稽古場を出ていかなければならなくなったことも重なって、これで幕引きをしようと“さよなら公演”をやったんです。そしたら、入りきれない程観客が来て、帰ってもらった人もいるぐらいでした。意外だったのですが、何人もの客に、他所へ移っても続けてほしいと言われたんです。たしかに今まで見続けてくれた人たちとの関係を切ってしまうのはもったいないと本当に思いました。お客さんとの濃密な関係が生まれてきたのも確かで、人と人とが繋がってやっていかなければいけないと強く感じました。でも、見通しはないですね。
そんな訳でいろいろ悩んで、3月の始めにドイツへ芝居を観に行ってきました。ドイツはオペラ、演劇など文化的なものにふんだんにお金を使う国で、各都市にオペラハウスや劇場があって、それぞれが独自に州から予算をもらって、運営にかかる経費のうち入場料の占める割合が9%。しかもオペラ一本を6000円ほどで観ることができ、60人のオーケストラに200人ぐらいの出演者が入れ替わり立ち替わり衣裳を変えて出てくる。毎晩公演を打って、客もいっぱい入っている。劇場法もそういうものを目指しているのかもしれないが、果たしてうまく機能するのかどうか。
蓬莱 劇場法はつまりは「選択と集中」ですよ。効果のあるところに重点的に金を出すという発想しかない。兵劇協に限らず、地域劇団が減少していって、その時にどうなるのだろうか、地域や演劇は何も困らないのだろうか。
村井 僕は今名谷に住んでいて団地自治会の“ふれあい喫茶”というのがあって、そこに集まっているおじいちゃん、おばあちゃんが一本芝居を創りたいと言ってきたり、小学校区のPTAで何かしたいという時に僕が芝居をやっているのを知っていて声をかけてきますけど、そういう時に相談に乗ってあげられるという地域劇団の存在は必要かな。
蓬莱 つまり「どろ」や「四紀会」や「F」も、地域の素朴な演劇活動をしたいと思っている人たちのコアになっていると思いますよ。45年間の活動の中で「小さい」が故に「濃密」な関係を地域の中で構築してきたことが、我々が何をやってきたかの証であり、誇りに思いますね。
合田 そう、それぞれの劇団がやってきたことに意味はあると思うし、多少違った芝居をそれぞれがやっていて、小さいけれど濃密な関係を創ってきた。社会性って、こういった普通のことを指すんですよ。
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